その自責はただの他責。本当に必要なのはのは変責。

現代社会において、問題解決の際に「自責で考えるのが正義」という考えが広く推奨されています。​これは、自己の行動や選択に責任を持ち、自己改善を図る姿勢として重要視されています。たしかに、他責で考えて責任を放棄するよりは、自分ごととして物事を進める方が成果が出やすい考え方でしょう。​しかし、この考え方が過度になると学習性無力感による適応障害やうつ病のリスクが高まり、個人や組織の成果に大きな損失が生じる可能性があります。​この記事では、本当に必要な「変責」とは何かについて、解説します。

自責と他責の一般的な捉え方

一般的に、失敗や問題が生じた際にその原因を自分自身に求める「自責」は、自己成長や責任感の表れとして肯定的に評価されます。​一方、原因を外部や他者に求める「他責」は、責任転嫁や成長の妨げと見なされ、否定的に捉えられることが多いです。​世はまさに、自責至上主義と言っても過言では無いです。

実は、この考え方は歴史的にみると、管理型社会であるこの数千年特有の考え方といえます。例えば、日本でいう旧石器時代などの狩猟が盛んだったタイミングにおいては、自責でいることの方がむしろリスクだったでしょう。十分な武器や貯蔵技術が無い状態で、問題をいちいち自分ごと化して取り組んでいたら、恐らく1週間ももたない内に餓死するでしょう。ある種、他責的とも運命共同体ともいえるコミュニティを形成したグループが、「安定的に食糧を手に入れる」という当時のルールで生き残ることができたのです。また、日本では弥生時代以降に「穢れ(ケガレ)」の概念が生まれ、責任の所在が明確化されたため、縄文時代にはそもそも自責他責という考え方すら本人たちには無いともいえるでしょう。

現代は、資本主義の発展で旧石器時代と比べればどう考えても、経済的に豊かであり、そう簡単に餓死することは無いでしょう。また、分業制が発展したことで、取り敢えず目の前のことをやっていれば給料が入ってきて、生活を維持できるというような状態です。この状態においては、とりあえず「自責」で自分のやるべきことに集中してもらうのが、手っ取り早いとされているのです。

自責思考で動けなくなる私たち

しかし、過度な自責思考は、学習性無力感を引き起こすリスクがあります。​学習性無力感とは、繰り返しコントロール不能な状況を経験することで、「何をしても無駄だ」と感じ、行動を起こさなくなる心理状態を指し、適応障害やうつ病になる最大の原因の1つとされています。​

人は失敗や成功の原因を以下の4つのパターンで帰属する傾向があります。

  1. 自責 × 一時的:​努力不足と捉える。​
  2. 自責 × 持続的:​能力不足と捉える。​
  3. 他責 × 一時的:​運が悪かったと捉える。​
  4. 他責 × 持続的:​課題が困難と捉える。

特に、失敗の原因を能力不足と捉える傾向が強い場合、学習性無力感に陥りやすいとされています。そして、この学習性無力感は自信(自己効力感)に言い換えることができ、自信が無いことは行動を減らし、成果に結びつかないことがわかっています。

上司が成果を上げるために部下に対して「自責」を求めた結果、確かに「自責」にはなります。運や部下の考え方次第では、たしかに成果に繋がることもあるでしょう。しかし、それ以上に「自責」になった結果、自信を無くして行動・成果を残せていない人がいるのではないでしょうか。

厚労省の調査によると、年々適応障害や精神疾患を発症する患者は増えており、過去10年で通院者数は倍増しています。もちろん、この数字は先天性によるものや精神疾患に対する考え方の変化を考慮できていないため、必ずしも問題が悪化していることを示すものとは言い切るべきではありません。虚偽で適応障害の発症を申告している人も多いでしょう。しかし、社会が求める「自責的」に考えられる人材こそこういった精神疾患を発症しやすい特性を持ちやすいことを考えると、大きな経済損失が生まれていることは間違いないでしょう。

【参考】
令和 6 年版 厚生労働白書
https://www.mhlw.go.jp/content/001294552.pdf

変数が最もアプローチすべき対象

問題解決において重要なのは、「自責」や「他責」という二元論では不十分でしょう。そこに加えて必要なのは、状況を構成する要素を「定数」と「変数」に分け、動かせる「変数」に焦点を当てる視点です。​

定数とは、自分では変えられない要素(他人の行動、過去の出来事など)を指し、変数とは、努力や行動によって変えられる要素(自分の行動、スキルの向上など)を指します。

いくら「自責的」であっても「定数」にアプローチしてしまうと、学習性無力感まっしぐらです。その意味では、成果に繋がる考え方の順位は以下ではないでしょうか?

1.「自責的」に「変数」へアプローチ
2.「他責的」に「変数」へアプローチ
3.「自責的」に「定数」へアプローチ
4.「他責的」に「定数」へアプローチ

つまり、「自責」・「他責」であること以前に、そもそも「変数」なのかの方が圧倒的に重要である可能性が高いと言えそうです。

他人に自責を求められない最大のジレンマ

ここまでをまとめると
1.「自責的」に「変数」へアプローチ
2.「他責的」に「変数」へアプローチ
のいずれかでいることが重要といえるので、「変数」にアプローチしよう!と言いたいところですが、そうはいきません。

冷静に考えてみれば、「他責的」であり「変数」にアプローチすることは至難の技でしょう。
「他責的」であるということは、相手に「自責」を求めることです。

そんなに簡単に相手を「自責」に変えることはできるのでしょうか?
もちろん、定数である相手を動かすこともできるとは思いますが、高度なコミュニケーション技術や情報量が求められる至難の技です。
普通に考えれば、大半の人にとって無理でしょう。

「他責的」に「変数」へアプローチをしてしまうと、もっとも成果に繋がらない「他責的」に「定数」へアプローチしてしまうことがざらにあるのです。
結局私たちにできるのは、「自責的」に「変数」へアプローチすることだけなのです。

「自責的」に「変数」へアプローチするための「変数」

ここまでを通して、「自責的」に「変数」へアプローチするしかないという、身も蓋も無い結論を導きだしてきました。

では、「自責的」に「変数」へアプローチするための「変数」は何でしょうか?
認知科学で考えられている、行動の仕組みを活用することで「変数」が見えてきます。

人の行動は安全地帯(コンフォートゾーン)を維持したいという、現状維持バイアスに支配されています。
そして、人それぞれの安全地帯は、他人の行動→脳内会話→自己認識という他人からの影響やそれに対する自身の認知が影響して形成されます。「自責的」かつ「変数」になるためには

自己効力感を高める

自己効力感とは、「自分のやったことが成果に結びつきそうな感覚」という自信の一種です。​
安全地帯を維持しようとする人間は、仮に実際には「変数」であるものに対しても「定数」であると思い込む習性があります。
成果を上げるためには「変数」だと思い込むものを増やしていくことが重要なのに、自由きままに振舞うと次第に「定数」だと思い込むようになっていくのです。「やったことは無いけれど、多分自分ならなんとかできる」というような考え方が、「変数」を認知レベルで増やすことに直結する重要な項目です。

また、自己効力感を高めるということは、学習性無力感の整理であげた自責×持続的で原因帰属の対象となる"能力"が自分には備わっていると考えるような考えともいえます。多少良くない状態が続いたとしても、気を病むことなく一定期間は耐えることができるようになるのです。

自己効力感は、以下の4点で改善できるといわれています。

確率的な脳内会話を増やす

学習性無力感の例であげたように、自責×持続的な考え方は危険を伴うため、一時的なものであると考え方を意図的に身に付ける必要があります。その際に有用になるのは、確率の考え方です。確率的にものごとにグラデーションを付ける考え方は、「変数」「定数」を区別するためのものさしとなります。数学分野の確率を勉強をするのも大事ですし、数値に見えない部分を解釈するための一般教養的な内容への知識を深めることも重要でしょう。

また、確率的なアドバイスをしてくる生成AIなどに向かって壁打ちをするのも確率的脳内会話を増やすことに繋がるかもしれません。

環境を変える

そもそもの根底の部分として、他人の言動というのはやはり非常に大きいです。環境による性格の影響は思っているよりも大きいため、馬鹿にすることはできないでしょう。

ただ、学校や職場そして、ご家庭を変えるというのは中々難しいことですし、非常にストレスがかかることです。もちろん、あまりにも悪影響がある場合には変えることも重要ですが、その前に新しい環境を増やしてみる方がより簡単なことかもしれません。良い環境を増やすことで、より建設的な脳内会話を増やすことができるはずです。

まとめ

成果を上げるために求められるのは「自責」×「変数」のアプローチです。そのためには、過去の自分の認知や他人の言動を調整していき、確率的なものの考えや自己効力感を身に付けていく必要があります。

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