【文字起こし版】「自己肯定感の罠」コンナビット!episode1.

目次

はじめに:自己肯定感は新語・流行語

近年、SNS、学校、自己啓発などの文脈で、「自己肯定感が大事だ」という言葉が広く用いられています。

落ち込んだとき、うまくいかせたいとき、資格試験、転職など、人生のさまざまな場面に登場し、魔法のキーワードのように扱われています。

しかし、自己肯定感が本当にそのような万能語なのかは検討が必要です。

実際、「自己肯定感」という言葉は、1994年に生まれた比較的新しい言葉です。

その年の新語・流行語大賞は「イチロー」や「同情するなら金をくれ」でした。
つまり、自己肯定感は「古くからある心理学の基本概念」ではなく、むしろ近年の日本社会が生み出した価値観だと言えます。

そして、このポジティブな語感をもつ「自己肯定感」という言葉そのものが、静かに苦しさを生み出している可能性があります。

本稿は「自信編」の第1回として、この「自己肯定感の罠」を扱い、本当に人を支える別の力が何であるかを探ります。

本稿で扱うのは、次の3点です。

  • なぜ「自己肯定感」が重要とされはじめたのか
  • 自己肯定感が無意識レベルでどのような罠を仕掛けるのか
  • そのうえで、何を目指すべきか

「自己肯定感」の正体

「自己肯定感」は心理学の正式概念ではない

「自己肯定感」という言葉は、心理学の正式な概念ではありません。

この言葉は、英語の Self-esteem を日本語に訳す過程で生まれた、独特の翻訳語です。
ここで重要なのは、Self-esteem 自体は学術世界の中心で用いられる重要概念である一方で、「自己肯定感」という訳語が適切かどうかには問題がある、という点です。

学術研究では、「自尊感情」や「自己効力感」など、定義の明確な概念が用いられます。
心理学の教科書においても、「自己肯定感とは〜」という項目が基本的に立ち上がることは多くありません。
世界的に著名な心理学論文でも、「自己肯定感」というニュアンスでの用法はあまり登場しません。

Self-esteem を検索すると、「自分を尊敬する心」と書いて「自尊心」といった訳が示されます。
翻訳は時代とともに変化し得ますが、この翻訳のズレが、日本人がもつ「自信」のイメージを大きく狂わせてしまった、という点が重要です。

Self-esteem の本来の定義と、翻訳によるズレ

Self-esteem は本来、心理学的には「認知」の概念として位置づけられます。

具体的には、

  • 自分をどう評価するか
  • 自分の価値をどう判断するか

という領域です。

これは、自分の現在地を正確に把握するための「地図」のようなものとして説明できます。
自分が今どのレベルにいるのか、目標までどの程度距離があるのか、強みと弱みは何か、その場面でどの程度対応できるのか、といった情報を扱います。

Self-esteem は「自分の価値を測る物差し」のようなものであり、本質は「自分をどう見積もっているか」という認知寄りの側面にあります。
感情的な要素が含まれることは否定できませんが、日本語の文脈で想起されがちな「自分大好き」といった感情中心の意味合いよりも、「自分をどう評価しているか」という情報が中核にあります。

ところが、Self-esteem が日本語の「自己肯定感」として広まる過程で、次のようなニュアンスが前面化しました。

  • 自分を肯定する心の姿勢
  • ポジティブな気持ち
  • 自分を好きになれる感覚
  • 心の中のポジティブさ

この結果、認知よりも感情へと意味の重心が移り、ズレが生じました。

なぜ翻訳にズレが生じたのか

Self-esteem が「自己肯定感」と訳され、ここまでズレが生じた大きな理由は、日本語の中に Self-esteem の翻訳語としてしっくりくる言葉が、自己肯定感というラベルが生まれるまで見つからなかったためです。

日本の伝統的な価値観の中心にあったのは、

  • 「自分をどう評価するか」よりも
  • 「他人や社会からどう見られるか」
  • 「与えられた役割をきちんと果たせているか」

といった外側との関係でした。禅・内観・武士道・儒教的な省察も、自分を甘やかして肯定するというより、自分を厳しく見つめ、整え、律するという倫理的・規律的なニュアンスが強い傾向があります。

一方、西洋心理学の Self-esteem は、

  • 自分をどう評価しているかという 認知(評価のメカニズム)
  • その評価に対してどう感じているかという 感情

をまとめて扱う「自己評価システム」のような概念です。

このギャップを埋める過程で、

  • self-esteem(自己評価システム)
  • → 自己肯定“感”(ポジティブに感じられるか)

という形で、1994年以降のある時期に、温かみを持たせる目的でラベル付けされてしまった、と整理できます。

実際に1990年代後半の教育行政(文科省)で「自尊感情」が政策目標に採用され、その訳語として「自己肯定感」が広まったと言われています。

その結果、

  • 認知(どう評価しているか)
  • 行動(その評価をもとにどう動くか)

よりも、「自分をポジティブに感じられているか」が前面に出る、感情偏重のズレが生まれました。

感情重視がもたらした影響

感情は重要ですが、このズレの結果として、ポジティブでいることが社会的に求められる方向へ傾きました。
「自分を肯定する」という言葉が独り歩きし、「ポジティブでなければならない」という義務に変わり得ます。

そして、自分自身もポジティブシンキングの苦しみに誘導されていきます。
この翻訳のズレが、今日の多くの人の生きづらさの源になっている、という見立てが成り立ちます。


罠①「気持ちを上げなければならない」

罠の出発点

「自己肯定感が大事」という空気が強いと、次のような行動が起こりやすくなります。

  • うまくいっていないときに「自己肯定感を高めよう」と考えます
  • 落ち込んでいるのに「自分を肯定していこう」と励まされます
  • つらいのに、前向きな状態を演じてしまいます
  • 失敗直後に「次は頑張ろう」と無理に気分を切り替えようとします

このとき、ネガティブな自分は良くない存在だという前提が、どこかで形成されます。これが自己肯定感第一の罠です。

罠の本質は「感情の否定」

自己肯定感を高めようとした瞬間、落ち込んでいる自分は「ダメな状態」として扱われます。
本来そのままでよかった感情が、「肯定しなければならない」「上げなければならない」という課題に置き換えられます。

落ち込みは、失敗や不調に対する自然な反応です。
悲しみは喪失に対する健全な反応です。不安は準備不足のサインとして機能します。
感情は、心が状況を知らせる信号であり、有用な情報です。

しかし「自己肯定感が大事」という言葉が介入すると、その自然な感情が「ダメな状態」として扱われ、心が発している信号を否定する構造が生まれます。

短期的には整ったように見えても、長期的には問題が残る

落ち込んでいるときに無理にポジティブになろうとすることは、短期的には立て直せたように感じられます。
しかし、その裏側では「感情の抑圧」が進みます。感じている感情を無理やり押し込める状態です。

この状態が続くと、問題そのものは解決しません。
むしろ問題が深く潜り、顕在化していた課題が潜在化します。
表面的には前向きに進んでいるように見えても、内部ではストレスが蓄積されていきます。

無意識と意識のズレが生まれる

意思決定や感情処理の多くは無意識で行われる、と整理できます。
意識できる思考は氷山の上の部分にすぎず、脳は効率性のために情報の大部分を意識に上げないようフィルタリングします。
すべてを意識に上げると過負荷になるため、重要な情報だけが上がります。

意識と無意識の葛藤が「認知的不協和」を生む

「ポジティブでいよう」「前向きになろう」という動きは意識の側の小さな操作です。
一方、落ち込み・不安・怒り・悲しさは無意識側で生まれ、脳全体で自動処理されます。

無意識が危険だと判断すれば不安が生まれ、見落とせない問題だと判断すれば怒りが生まれます。
無意識では落ち込んでいるのに、意識だけで元気なふりをすると、心の中にズレが生まれます。
このズレが認知的不協和であり、脳にストレスを与えます。

認知的不協和の解消は「行動」や「認知」の変更が生じる

認知と状況にズレが生じると、脳はそれを解消しようとします。方法は主に2つです。

  1. 行動を変える
    • 疲れているなら休む
    • 悲しいなら泣く
      行動と内部状態を一致させる
  2. 認知を変える
    • 「実は疲れていない」と言い聞かせる
    • 「実は悲しくない」と思い込む

この2つ目が「自己肯定感を高める」という活動として働き得ます。
一時的には機能することがあっても、無意識の信号を無視し続けることになるため、長期的には不健全です。

身体症状として現れる

ズレを抱えたまま生活すると、疲れやすさ、気分の不安定さ、集中力の低下などが生じます。
これは身体が「何かおかしい」と示しているサインです。

本人としては前向きでいようと努力している一方で、無意識がついてこない状態になります。
意識と無意識のギャップが大きいと、脳はそれを修復しようとしてエネルギーを大量に消費し、疲労感や集中力低下につながります。


罠②「比較ゲームから抜けられない」

比較ゲームとは何か

自己肯定感の罠は1つではありません。2つ目は、自己肯定感を上げようとするほど、比較ゲームに参加しやすくなることです。
ここでいう比較ゲームとは、周囲と自分を比較し、評価を上下させることです。

外部条件でのみ自己肯定感が上がる構造

外部条件が整ったときに、自己肯定感は一瞬高まります。

  • 人より仕事ができます
  • SNSで褒められます
  • テストで良い点を取れます
  • 誰かに必要とされます

しかし、外部評価に依存した自己肯定感は常に変動します。
今日評価されても明日は分からず、その不安を埋めるために比較と努力が増えます。
自己肯定感が「自分の価値の判断」に関わるため、価値判断の基準として他者比較が採用されやすくなります。

あなたの成績を伸ばすピグマリオン効果

周囲からの評価が能力や成績を伸ばすことがある点は、多くの研究で示されています。
これはピグマリオン効果(期待効果)です。
教師の期待が成績に影響し、上司の信頼が部下の能力を引き出す場合があります。

しかし外部評価依存は、比較を増幅させる

外部評価に依存すると、比較ゲームへ入りやすくなります。
「他の人より上になれば評価される」「評価されれば価値が上がる」という思考が続きます。

ただし外部条件は永遠に維持できません。
外部環境は変動します。
批判、失敗、体調不良、人生の転機、運の悪さなどが起きた瞬間、自己肯定感という脆い柱は崩れ得ます。

外部評価だけでは、不可避な変化に耐えられない

外部評価だけを頼りにすると、挫折や喪失、仕事の失敗、別れ、加齢、経済状況の変化、社会的地位の変化など、避けられない人生の変化に直面したときに崩壊する可能性があります。

長期的にはメンタルヘルスが損なわれる

外部評価に基づく自信は短期的には効果があっても、長期的にはメンタルヘルスを悪化させる傾向があります。
他者の顔色をうかがう、自分の意見が言えなくなる、本当にやりたいことが見えなくなる、疲弊する、対人関係で消耗する、といった影響が蓄積します。

比較で苦しくなるのは性格の問題ではなく、どこかの領域に「自分の価値」を賭けてしまっているかどうかです。
心理学ではこれを 価値の条件づけ領域(contingencies of self-worth) と呼びます。
成績、仕事、見た目、SNSの反応、恋愛、コミュニティの役割、能力などが該当します。

この領域で結果が出れば価値を感じられる一方で、小さな失敗や他者の成功が価値への脅威になります。
その脅威を感じた瞬間、人は無意識に 自己証明モード(self-validation mode) に入ります。
「できている自分を証明しなければならない」「評価を落とさないようにしなければならない」「認められなくなったらどうしよう」という状態です。

自己証明モードが作動すると、努力の質が変わります。
本来は成長のための努力が、価値を失わないための努力へ変質します。
ここに、心理学者 Crocker & Park が強調した落とし穴があります。
学びが浅くなり、比較が増え、失敗が避けるべきものになり、人間関係が「演じる自分」を守る場になります。

さらにSNS環境では「成功の断片」が連続的に流れてくるため、自己証明モードが常時刺激され続けます。
結果として、比較→嫉妬→価値脅威→自己否定、というループが自動的に発動します。
比較ゲームとは意思の問題ではなく、外部評価に価値を置いた瞬間に作動する無意識・本能レベルの自己証明ループです。


罠③「演じる私」が固定される

最も苦しい罠

3つ目の罠は、演じる自分から抜け出せず、本当の自分を見失うことです。

「できている自分」を演じ続けざるを得なくなりる

自己肯定感を高く保とうとすると、「できている自分」を演じ続けなければならない状態に陥ります。
弱音を吐けない、失敗が怖い、本音を隠す、SNSで強がった自分を作る、人前では常に明るくしていなければならない気がする、大変だと言えない、といった形で表れます。
無意識の本来の自分から離れることが強制されます。

感情としての自己肯定感は、ポジティブ環境の維持を要求する

自己肯定感を感情として捉える限り、その感情を維持するにはポジティブな状態を継続する必要があります。
ポジティブな感情はポジティブな環境によって生み出され、ポジティブな評価が集まり、その評価があるからポジティブな感情が生まれます。
その環境を失うことが怖くなります。

弱さを見せれば評価が下がり、失敗を認めればポジティブなイメージが崩れます。
その恐怖が、人を演技の継続へ向かわせます。

一貫性の法則により、自己否定が強化される

人間心理には「一貫性の法則」があります。
ある行動や意見を示すと、それを正当化するために信念や価値観を自動的に調整する傾向です。

「できている自分」を演じ続けると、その演技を支持するために「できていない自分」を否定し続けるようになります。
この過程が繰り返されると、本来の自分が見えなくなります。

負のループが強化される

脆くなった自己肯定感のもとで現実に打ちのめされると、さらに自己肯定感を高め、本来の自分から離れ続けなければならない負のループに入ります。
最初は気分が上がり、うまくいくこともありますが、うまくいくほど「ポジティブであること」の価値が高まり、要求基準が上がり、より一層「できている自分」を演じる必要が出てきます。
やがて演技のクオリティを上げることに人生のエネルギーの大部分が消費されます。

「もう誰かわからない自分」になる

生きづらさの正体は、「演じる私」が「もう誰かわからない私」へ迷い込む構造にあります。
自己肯定感を上げたいと思うほど、「本当の自分ではダメなのではないか」という前提が強化されます。
自分を肯定するために自分を否定するという矛盾の中で苦しみが生まれます。

本来の自分がわからなくなると、意思決定ができなくなり、本当にやりたいことが見えなくなり、人間関係が浅くなります。
本当の自分を出していないため、相手と深い繋がりが作れないからです。


なぜ日本では自己肯定感が流行したのか

背景は3つ

ポジティブを求める形での自己肯定感が社会に広がった理由は大きく3つあります。
背景を知ることで、苦しさの正体が見えてきます。

理由①「比較のOS」が制度化された教育

日本の教育には、テスト、偏差値、順位、倍率など、比較が制度として組み込まれています。
本来、教育は個人の成長に焦点を当てるべきですが、日本では早い段階から相対評価が導入され、小学校から点数による序列が生まれます。

中学受験、高校受験、大学受験と、人生の重要局面で「他者より上か下か」が決まる仕組みが続きます。
この比較が無意識レベルで脳のOSとして形成され、「自分の価値=人より上かどうか」という判断基準が自然に作られます。

そこに「自己肯定感を上げる」という言葉が入ると、比較で測ろうとしてしまい、「自己肯定感が高い=人より優れている感覚」という誤解が生まれます。
本来の認知的概念が「人より上であると感じる気持ち」に変わってしまいました。

理由② ネガティブを出しにくい文化

日本文化には、迷惑をかけない、空気を読む、気持ちを抑える、我慢する、泣きごとは言わない、といった特徴があります。
集団の調和のために個人の感情を抑制することが良いとされてきました。

この背景の中で「肯定しよう」という言葉が入ると、「ポジティブでいなければならない」という圧力に変わります。
ネガティブ感情を表現しにくい文化に「自己肯定感が大事」というメッセージが加わることで、「ネガティブな自分は良くない存在」という認識が強化されます。
これは社会的圧力として機能し、多くの人が本当の気持ちを隠し続けます。

集団主義文化では、個人が弱さを認めることが集団全体への負の影響として解釈されやすく、「弱さを見せることは迷惑だ」という判断が生まれ、感情抑制が深まります。

理由③ 成果主義・自己責任論の台頭

90年代以降、企業も学校も成果が全てという空気が強まりました。
年功序列から成果主義へ、終身雇用から成果ベースの給与体系へと変化し、教育でも「個性を伸ばす」という掛け声の下で競争が激化しました。

この変化と並行して、「人生は自分次第」「失敗は自分の責任」という自己責任論が生まれました。
ポジティブに言えば「人生は自分でコントロールできる」ですが、同時に「うまくいかないのは努力不足」という判断が社会的に是認されるようになりました。

この論理では、失敗や困難が社会構造の問題ではなく、個人の心の持ち方の問題として解釈されます。
そこで「うまくいくにはまず自分を肯定しろ」「自信を持てば成功できる」という自己啓発的メッセージが生まれ、成功できないのはポジティブさが足りないから、失敗するのは心が弱いから、という判断へ接続されます。

自己啓発産業と自己責任論が結合し、「自己肯定感を高めることが義務」という圧力が生まれました。

SNSで構造が強化された

これら3つの要素は90年代から2000年代、2010年代へ進むにつれ強化されました。
SNSの普及により比較が可視化され、他人の成功や幸せが日常的にタイムラインへ流れ込みます。

「落ち込んでいます」という投稿は優先されにくく、「契約を獲得しました」といった投稿は反応が集まりやすい傾向があります。
SNSというシステム自体が、比較ゲームと演じる自分を助長する構造になっています。

こうして「自己肯定感」というメッセージは、社会的圧力として個人に作用するようになりました。


では、どうすればよいのか

問い

ここまでを踏まえると、「自己肯定感以外に何を追い求めればよいのか」「人生をうまくいかせるために何が必要か」という疑問が生まれます。
人生には支えになるものが必要です。

私たちの結論

結論は、人を本当に支えるのは自己肯定感ではなく、別の2つの力です。
2つとは、自己受容感自己効力感です。

自己受容感とは、自分のあらゆる側面を受け入れる能力です。
ポジティブな側面もネガティブな側面も含めて「これが自分だ」と認識することです。これは感情ではなく、自分についての認知です。

自己効力感とは、特定のタスクに対する達成能力の認識です。
「この仕事なら自分にもできそうだ」という確信や感覚です。これも感情ではなく能力についての認識です。

自己肯定感が感情に基づくのに対し、この2つは認知に基づきます。
そのため、より安定で、より実用的で、人生を支える力になります。

自信を理解するには、歴史を学ぶ必要がある

ただし、この2つを本質的に理解するには、「自信という概念の歴史」をおさらいする必要があります。自信がどこから来たのか、何者なのかを知らなければ、この2つの力を正しく使いこなすことはできません。

自信は本能のみが生み出したものではなく、社会に必要だから生み出された発明品の側面があります。発明品としての意図や歴史を知ることで、自信を脅威ではなく武器に変えることができる、というロジックで、次回は歴史について扱います。


まとめ:

以上、episode1「自己肯定感の罠」を扱いました。

次回は「自信の歴史」を取り扱います。ぜひお楽しみに!

最後に私たちの紹介をさせてください。
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参考文献

【参考文献】自信編|コンナビット主要参考文献一覧(随時更新)

目次1 このページについて2 第1回「自己肯定感の罠」2.1 Self-Esteemの追求― 自己価値の条件づけと自己制御2.2 Self-Esteemを追い求めることの弊害2.3 高い自己肯定感と成…