なぜ「理解したつもり」になるのか? 思い込みや錯覚が学習を妨げる理由
目次
はじめに:「分かったはずなのに、できない」という違和感
授業中は、たしかに分かったと思った。
解説を読んだときも、「なるほど」と納得できた。
それなのに、いざ問題を解こうとすると、手が止まる。
誰かに説明しようとすると、言葉が出てこない。
「ちゃんと理解したはずなのに、なぜだろう」
多くの人が、この違和感を抱えたまま学習を続けています。
そしてたいていの場合、その原因をこう考えます。
- もっと集中すべきだった
- 自分の理解力が足りない
- 才能の差かもしれない
ですが、実はこの現象はとてもよく起きる、自然なものです。
むしろ今の時代、誰でも陥りやすくなっています。
なぜなら私たちは、「理解しやすい環境」に囲まれているからです。
まず押さえておきたい「理解」の正体
話を進める前に、ひとつだけ大事な前提があります。
心理学では、理解をこう定義します。
理解とは、新しい情報を、すでに持っている知識と結びつけ、
自分の中の“意味の構造(スキーマ)”として組み直せた状態のこと。
つまり、
- 説明を聞いて納得した
- 読んで分かった気がした
という感覚そのものが、理解ではありません。
理解が起きているとき、頭の中では、
- 知識同士がつながり
- 「なぜそうなるか」が説明でき
- 条件が変わっても使える
という状態になっています。
ここを押さえると、次の話が見えてきます。
「理解したつもり」は、なぜ生まれるのか
では、なぜ本当の理解が起きていないのに、
人は「分かった」と感じてしまうのでしょうか。
理由はシンプルです。
脳は「理解できたかどうか」を、直接は確認できないから。
その代わりに、
理解したときに“よく一緒に起きる感覚”を手がかりに判断しています。
その感覚が、私たちを騙します。
わかりやすさが生む、最初の勘違い
分かりやすい説明を聞いたとき、
頭の中ではこんな感覚が起きます。
- 話の流れが追える
- 引っかかるところが少ない
- スムーズに理解できている感じがする
これは、「処理が楽」な認知負荷がかかっていない状態です。
このとき脳は、無意識にこう判断します。
スムーズに処理できている
→ 自分はこの内容を扱えている
→ つまり、理解できているはずだ
ここで起きているのは、
「楽に処理できた=理解した」という早合点です。
まだ、知識が自分の中で組み直されたわけではありません。
「頭が軽くなった感じ」が、理解に見えてしまう
理解が進むと、確かに頭は楽になります。
バラバラだった情報がまとまり、考える負担が減るからです。
問題は、
わかりやすい教材も、同じ感覚を作れてしまうことです。
- 図や表が整理されている
- 話が順序立てて語られる
- 重要な部分が強調されている
すると、
「自分の頭の中が整理された」ように感じます。
でも実際には、
整理されているのは教材であって、あなたの理解ではありません。
このズレが、「理解したつもり」を強くします。
「つながった感じ」と「本当につながった」は違う
分かりやすい説明には、ストーリーがあります。
- こういう前提があって
- だからこうなって
- その結果、こうなる
この流れを追えると、
「知識同士がつながった」と感じます。
ですが、それは説明を追えただけかもしれません。
本当に理解できているなら、
- なぜそうなるのかを自分の言葉で説明できる
- 条件が変わっても考え直せる
- 例外や限界についても触れられる
はずです。
物語として分かった感覚と、
自分の中で構造ができた状態は、別物です。
最後にズレるのが「自己評価」
ここまでの感覚が積み重なると、
私たちはこう判断します。
- 分かりやすかった
- ちゃんと追えた
- できそうな気がする
「たぶん、理解した」
この自己判断を行っているのが、メタ認知です。
自分の理解度を見積もる力ですが、
感覚に引っ張られると、簡単にズレます。
こうして、
実際にはまだ使えない
でも、理解したと思っている
という状態が生まれます。
これが「理解したつもり」です。
なぜ問題になると止まるのか
問題を解く場面では、
次のことをすべて自分でやらなければなりません。
- 必要な知識を思い出す
- 条件を読み取る
- 手順を組み立てる
- 別の形でも応用する
つまり、頭の中の構造が試される場面です。
だから、
- 解説を見ると分かる
- 自力だと止まる
ということが起きます。
これは失敗ではありません。
「まだ構造ができていなかった」ことが、表に出ただけです。
ここまでを一文でまとめると
「理解したつもり」は、
分かりやすさによって生まれた
“楽に処理できた感覚”を、
本当の理解だと勘違いしてしまうことで起きる。
という現象です。
努力不足でも、能力不足でもありません。
誰にでも起きる、構造的な錯覚です。
じゃあ、どうすればいいのか
ここまで読むと、
こう思うかもしれません。
「じゃあ、分かりやすい説明はダメなの?」
そうではありません。
大事なのは、
分かった“後”に何をするかです。
- 自分の言葉で説明できるか
- 何も見ずに手順を再現できるか(想起練習)
- 別の形でも使えるか
ここを通過して、はじめて理解は安定します。
まとめ:理解とは「使える構造」ができた状態
- 分かった気がするのは、自然な感覚
- でもその感覚だけでは、理解は保証されない
- 理解とは、知識が自分の中で組み直された状態
もし今、
「分かっているはずなのに、できない」
と感じているなら、
それはあなたの能力の問題ではありません。
次の一段階に進むサインです。

